2014年12月1日月曜日

模擬陪審の事件内容

ある学者の研究でも、日系企業は米国の陪審裁判での勝率が米国企業よりも高いことが実証されており(丸田隆著『アメリカ民事陪審制度』弘文堂)、そういうことも財界の方々には冷静に理解してほしいと思います。

ただ、もし本当に企業側のやったことが悪質なものだとしたら、その時には厳しい評決になる可能性は否定できません。模擬陪審の事件は微妙な事案だったので、病院に有利とも思える評決になってしまったわけですが、企業が本当に悪かったら、それでは済まないでしょう。

それは企業社会としても、こんな企業は同業者として許せないとして、悪徳企業にお灸をすえることを意味します。つまり、企業倫理向上の観点からしても、陪審導入は全体としてプラスでこそあれ、決してマイナスではないと考えられます。陪審制を恐れなければいけない企業とは、どちらかといえば企業倫理に無神経な、ろくでもない企業だくらいの見方をして、ほぼ間違いないのではないでしょうか。

さらに蛇足を加えるなら、自分の会社の従業員が陪審員に選ばれたとして、それが刑事裁判であれば、「会社のこととは関係ないが、ちょっと社会勉強のつもりで行かせるかな」くらいにしかなりません。それが民事陪審であれば、「わが社が将来何かのトラブルに巻き込まれた場合の参考になるかもしれないから、研修のつもりでしっかりとやってこい」くらいに言えるのではないでしょうか。

企業社会においても、将来、良識ある財界人が現れて、陪審制反対一辺倒から方向転換する時代がやってくるかもしれません。ひと昔前なら荒唐無稽とされた考えが、いつの間にか現実のものに、といった現象が最近起きていることからすると、こういう転換も全くあり得ないことではないと思います。

2014年11月1日土曜日

軍事介入は新しい問題を発生させる場合が多い

平和的手段が、紛争解決に絶対的に有効であるとはいえない。起きてしまった紛争に対しては、軍事介入以上に無力である。現行憲法が唱える「戦争の放棄」は、決して「果報は寝て待て」の楽天主義ではない。

「話せばわかる」が通じない修羅場のむごたらしさを深く認識し、紛争防止のため、平時において粘り強く努力を続けていくことが求められる、地味な厳しい道である。

平和主義が「エコノミック・アニマル」の遁辞に堕す事のないよう、それなりの覚悟と行動がともなわねばならないのである。

「武力によらない平和」を追求する平和憲法は、国の内外で「一国平和主義」「美しいだけで無力な理想主義」と祁楡され続けている。が、世界各地で紛争が絶えない時代状況の中で、ますます光彩を放つようになってもいる。

軍事的手段の限界が世界各地で明らかになってくるのにともない、紛争予防に全力を傾ける「平和的手段」の実利が、次第に広く認められるようになりつつある。

「戦争の放棄」を単なるスローガンではなく、平和達成に向けての現実的手段として定着させていくために、日本が取り組まねばならない課題は、たくさんある。

それは何より日本の持つ世界有数の経済力を活かすことである。食糧、エネルギー、疾病、環境紛争の根にあるこれらの地球規模の諸問題を解決するため、日本は、自らの人、物、情報・知識を総動員しなければならない。それが、二十一世紀日本に課せられた、困難ではあるが誇るべき使命といえる。

2014年10月1日水曜日

社会主義の問題点

十世紀頃、ヨーロッパで、イタリアの都市を中心としておこった商業の復活にはじまり、十四世紀から十五世紀にかけてのルネサンス、そして十五世紀末にはじまる大航海時代によって、輝かしい近代が開かれていったわけですが、近代的資本主義は、その経済的原動力を与えていたのです。そして、十八世紀後半から十九世紀にかけておこった産業革命を経て、資本主義の仕組みは、世界中にひろまっていきました。

産業革命の新しい科学技術は、資本主義のもとで、経済・社会の飛躍的発展という輝かしい成果を生み出しました。しかし、その半面、イギリスをはじめとする西ヨーロッパの国々は、強力な軍事力と強大な経済力をたくみに使って、アフリカ、アジアをはじめとして、世界中に植民地をつくり、人類の歴史にもまれにみる残忍で、苛酷な支配をおこなっていったのです。このことは、前にもふれましたが、この残忍で、苛酷な支配は、植民地にかぎらず、イギリス
など本国でも同じように深刻だったのです。レオ十三世が、「レールムーノヴァルム」で、資本主義の弊害といわれたのは、このような状況を意味されたのです。

近代的資本主義は、封建的な遺制を破って、新しい市民社会の形成に中心的な役割をはたしたのですが、十九世紀のおわり頃には、独占的資本家が、自分たちだけの利益を求めて、労働者を酷使し、消費者に不利な価格を決めていったのでした。また、海外での植民地獲得の競争はますます激しくなっていきました。二十世紀の前半に、二つの世界大戦が戦われ、人類史上最大の犠牲者を出しました。その主な原因の一つは、日本を含めた世界の先進資本主義諸国が、自分たちの市場を拡大するために展開した熾烈な植民地獲得のための競争だったのです。

レオ十三世は「レールムーノヴァルム」のなかで、資本主義の弊害を説き、同時に社会主義の幻想をもっことに対して、きびしい警告を出されています。社会主義の考え方は古くからありましたが、現在私たちが使っているような意味での社会主義という言葉を最初に使ったのは十九世紀に入ってから、サンーシモンやロバートーオーエンたちでした。しかし、社会主義の思想を体系的に展開し、政治運動の理論として完成させたのは、マルクスとエングルスでした。

マルクスは、資本主義のもとでは、恐慌が周期的におこり、貧富の差が極端に大きくなる傾向をさけられないと考えました。そして、社会主義革命かおこり、政治権力はプロレタリアート(財産をもたない労働者階級)によって専制的に行使され、私有財産制は廃止され、人々は能力に応じて働き、働きに応じて収入を得るという社会主義の世界が実現すると主張したのです。

2014年9月1日月曜日

株式市場で株を買うことの意味

ただ効率的で完全市場に近いといわれるアメリカですら、ウォーレンーバフェットのように市場平均を圧倒的に上回る投資成績をほば毎年にわたって上げ続けてきた人もいます。日本の市場はアメリカほどには効率的でないと言われています(この点についてはマクドナルド教授がいくつか論文を発表しています)。その分、日本で儲かる株を見つけることは、少なくとも米国市場よりは、比較的容易だといえるでしょう。

さてここで、株式市場で株を買うことの意味をもう一度確認しておきましょう。株式を買うということは、会社の一部を買うということです。会社が発行している株を全部買えば、その会社は、あなたのものになります。たとえば、日立製作所の株を1000株買うとします。現在の値段をベースとしますと、おおよそ六六万円になります。日立が現在発行している株は全部で三四億株ありますから、日立を1000株買うということは、六六万円で日立全体の三四〇万分の一を買うということになります。

「現在の株価」に「発行済の株式総数」を掛けた金額、日立の例では約二兆円になりますが、この金額があれば、日立の全株をあなたは買うことができます。この二兆円に当たる金額を「時価発行総額」と言っています。もう一度整理してみましょう。株を買うということは会社の一部を買うことです。このことをまず押さえてください。次に、あなたが買おうとしている株を発行している会社の価値を考えます。会社の価値がこれから高くなっていくのであれば、あなたの株も上がっていきます。

それでは、会社の価値はどうやって計るのでしょうか。いよいよ本題に入っていきましょう。企業が生み出すキャッシューフローを予想する会社の価値とは、企業が将来にわたって生み出すことになるキャッシューフローで表わされます。最近よく耳にするようになった言葉ですが、キャッシューフローとはいったいなんでしょうか。

たとえばあなたが会社を始めたとします。オーナー経営者です。会社の資金を管理するため銀行に普通預金口座を開きます。商品を販売して代金が預金口座に入金されれば預金残高が増えます。従業員の給与はこの預金口座から払われます。会社で新しくコピーの機械を買えば、預金がその分減ります。こうして一年間を通じて、預金口座の残高が一〇〇万円増えたとします。これがキャッシューフローで、この年はプラスー○○万円のキャッシュ・フローがあったことになります。

2014年8月4日月曜日

医療手段を使い分けて支援する

この他にも経験はあるが、これらの例が示すように、私は自分自身の自然治癒力のお蔭で、何とか今まで生きてきたわけである。私は、元来、医療というものは、病人の持つ自然治癒力がその力を発揮できるように、医療手段を使い分けて支援するのが、その基本的目的であると信じている。しかし、当時の医療では、私の自然治癒力を助けることすらできなかったのである。それゆえに、私は、医療というのはまだまだ未熟で、限界をもっており、今後ますます研究と経験を重ねて進歩させていかなければならないものであると思っている。

さて、私の実際の経験を見ていただいたところで、医療の不確かさ、限界ということについて、もう少し考えてみよう。近年、先端技術を取り入れた診断機器や診断技術の開発進歩は躍進的であり、診断面では基礎理論の臨床への応用はめざましい。しかし、遺伝子治療を可能にした基礎的遺伝医学理論のような、治療目的に応用可能な医学的理論がどれほどあるであろうか。

また、たとえ医学的理論が学問的には正確であっても、その理論が臨床の場で患者の医療として応用された時には、治療の対象となる患者の側に、アレルギー性体質をはじめ個体差の強い体質や遺伝的な形質があったり、その時々の気分にも左右されがちな生きた患者の生身の身体が対象であるだけに、その医学理論の臨床的効果の再現性は、理論的な期待にそうものとはいえないのが実情である。

患者の生身の身体は、厳密に言えば一卵性双生児ですら別々の個体であって、完全に同一の身体というものは存在しない。また同一人でも、昨日と今日とでは身体的条件は異なり、その上、神経系や内分泌系の機能の変化によっても身体的反応は顕著に異なることもよく知られたことである。同一の医学的理論を応用しても、その理論の反応体である身体の肉体的精神的な条件が異なれば、完全な再現性など期待できるはずのないことは明らかなのである。

2014年7月15日火曜日

転換迫られる中山間地対策

日本でも、ウルグアイラウンドによる農産・畜産物の輸入増加による打撃緩和策の意味もあり、この数年、農水省は「中山間地総合対策」を実施し始めている。しかし、それは直接的所得補償ではなく、農協、土地改良区、第三セクターなどを通じた、相も変わらぬ圃場区画整理や排水溝、あるいはハコモノ建設など公共事業中心の政策である。平地でやってきた土地改良事業を無理やり中山間地に持ち込み、農民によけいな自己負担を押しつけ、美しい田畑や周辺の自然をコンクリートで固めて破壊している、と批判されても当然の実態だ。

これでは、農水省が唱え始めているグリーン・ツーリズムなど成り立だないだろう。欧州の所得政策とは縁もゆかりもないことも確かである。先にみたように、農水省は土地改良費として膨大な予算をもっている。土地改良事業はその主要な役目を終えたといわれる今日、その一部でも「マイナスの所得税」に振り向ければ、欧州諸国なみの対策が可能であろう。それがポスト公共事業時代のオルタナティブの重要な一つでもある。

そしてあたりを見回してみると、明日へのオルタナテーフの実践が確実にふえていることがわかる。そうした自治体の実験をのぞいてみょう。東京都は一九九七年から、都内への車の流入規制も視野にトれながら、道路を走る車の量そのものを規制する新たな交通対策の検討を始める。いくら道路をつくっても一向に車の渋滞は解消されないし、大気汚染や騒音公害は悪化しこそすれ、改善の見込みはない。一方で、都心を一周する都営地下鉄19号線環状部が二〇〇〇年には開業する予定だし、ほかの路線も順次延長されていく。それならば、車から地下鉄など大量交通機関へ乗り換えてもらおうという、発想の転換だ。

都心の周辺に駐車場を設けてその先は、地下鉄、電車、バスなどへ乗り換える「パークーアンドーライド」や、ナンバーープレートによって今日は奇数の車、明日は偶数の車だけと車の都心への乗り入れそのものを規制する方法もある。トラックは夜間など一定の時間帯だけに通行を認めるのも有効だろう。

2014年7月1日火曜日

信託の種類

信託はその目的だとか、委託する財産の種類などによっていろいろの分け方があります。まず、信託の目的が公益か私益かによって公益信託と私益信託になります。公益信託というのは、寺院の建立、学校の設立、貧民の救済など学術、宗教、慈善事業の援助を目的とした信託で、外国ではこの種の信託が古くから発達していますが、わが国では後に述べる通り、昭和五十二年に開発され、それ以後急速に発達をみています。

次に、その信託が当事者間の意思によるものをもとに、自由な契約による設定信託(任意信託)と信託が満期などで終了しても受益者に信託財産をきちんと引き渡すまでは信託が存続するとされる法定信託とに分けることができます。たいていの場合には、普通の信託はすべて設定信託となります。また信託が当事者間の契約によるか、委託者の遺言によるかで契約信託(生前信託)と遺言信託(死後信託)に分かれます。

さらに、委託者が個人であるか法人であるかによって、個人信託と法人信託(会社信託)になります。これは信託する財産の持ち主が個人か法人かということであって、受託者が個人であるか法人であるかには関係ありません。そうして、信託の初めは個人信託ばかりでしたが、法人の財産が増えるにっれて、だんだん法人信託の割合も増える傾向にあります。このほか、委託者が受益者と同じ人であるか別の人であるかによって自益信託と他益信託に分けたり、受託者が信託を商売としているかどうかで営業信託と非営業信託に分ける分け方などがあります。

しかし実際には、わが国の信託が営業信託を中心に発達してきたため、信託業法にもとづいて信託会社が引き受けることのできる信託財産の種類によって分ける分け方が広く使われているようです。この場合は、①金銭の信託、②有価証券の信託、③金銭債権の信託、④動産の信託、⑤土地とその定着物の信託、⑥地上権と土地の賃借権の信託、⑦包括信託の七つに分かれます。このうち包括信託は、右の①から⑥の信託財産のうち二つ以上の財産を一つの信託契約で引受けるものをいい、昭和五十七年四月の法律改正に伴う施行規則で新たに定められたものです。いろいろな名称の営業信託について述べますが、これらは信託目的、信託財産、その管理処分方法などをもとにつけられた名称です。

2014年6月16日月曜日

新聞記者の留学生

私がまだバークレーのカリフォルニア大学にいた頃のことである。あの大学には多くの日本人の留学生がいた。留学生といっても日本では皆、会社や、大学や、研究所で立派な職を持っている人たちである。これらの人々は謙虚に、大学院の講義やセミナーに出席して、できるだけ多くのことを、アメリカの大学から学び取ろうとしていた。その中に某新聞社のKさんがいた。たしかKさんは一年の予定でバークレーに来たのだと思う。遠い異国での日本人同士でもありKさんの人柄もあり、私はすぐKさんと親しく意見を交換する間柄になった。

それから問もなく私はKさんからこんな相談を受けることになった。Kさんの言うには、自分がバークレーで勉強できる期間は限られているし、一生のうち仕事から離れて、勉強に打ち込むことのできるのはこれが最後の機会だと思うという。また自分の上司に、アメリカの大学にいったら、新聞記事になるような出来事とは、全く関係のない基本的なことを勉強してこいと言われた。しかしこれは言うはやすく行うは難い要求である。一体どの教授の、どういう科目をとったらよいだろうとKさんは言うのである。

私はこのKさんの上司はまことに見識の高い立派な人物だと思った。もちろんKさんもこの上司の言葉をもっともだと言っていた。しかしアメリカに来て、Kさんの新聞記者としての血は騒いでたまらないようであった。あれは丁度、月へ人間を送るロケットが発射されるというので、アメリカ中が沸き立っていた時だったと思う。Kさんはどんな科目をとろうか困っていると言いながら、一方では矢も盾もたまらなかったらしい。しばらくその姿が見えないと思ったら、大学の講義はさておきスペースーセンターのあるヒューストンに、しばらくいってきたと言っていた。

アメリカの大学は約十一週間が一学期で、この一学期ごとがしのぎをけずる苦しい短期決戦である。正規に単位をとるのだったら「ちょっとヒューストンへ」などと言っていたら、たちまち落第してしまう。私は「月ロケットなどの話は、ほとぼりが覚めたらそれで終りですよ。それより本当に一生役に立つ、基本的な勉強をおやりなさい」とKさんに忠告したような気がする。

2014年6月2日月曜日

太平洋展開米軍部隊と第7艦隊

各種航空機の混合編成とすると整備支援が大変で、しかも各型の航空機は各々少ない数しかないから、予備機の余裕がなく、継続的な作戦が難しい事実も判明した。このため混成航空団編成は、訓練にはよくても実戦には適していないとして、AEFの編成を従来の単一機種方式に改める方向が検討されている。そうなると、派遣されるAEF部隊は大規模なものとなり、そう簡単に緊急展開ができなくなると予想される。

結局のところ、予見し得る将来においては、例えば嘉手納や三沢の米空軍部隊が撤退して、AEFが代わりに「必要な時に」展開してくるという状況にはならないであろうと考えられる。仮にそのような状況になったとしても、プレゼンスの効果を大きく減じないようにするために、かなり頻繁にAEF部隊が日本の航空基地(まだ返還されない米軍航空基地か、自衛隊の航空基地)に展開してくるようになるだろう。

一九九七年中期の時点で、米国はアジア・太平洋地域においては日本、韓国、フィリピン、タイ、シンガポール、オーストラリアに部隊を置いている。さらに、第7艦隊が西太平洋からインド洋に展開し、グアム島とサイパン島に海兵隊の装備を搭載した事前配備船(MPS)が置かれている。このうち、日本と韓国、そして第7艦隊を除けば、米軍人の数は百上二百人規模でしかなく、MPSもその運用管理に当たっているのは民間人が大半である。在日米軍は陸・海・空・海兵隊合わせて約四万人、在韓米軍はやはり陸・海・空・海兵隊合計三万六千人、そして第7艦隊は海軍と海兵隊で約一万五千人、総計九万人強で、これがアジア・太平洋地域の米軍十万人態勢の内訳である。

あくまでも平時における展開兵力で、危機や長期的人道支援活動が必要な状況になれば、当然、米本土やその他の地域から増援が行われる。また、アジア・太平洋地域の戦略状況や米国の利権が大きく変化して、米軍のプレゼンスを継続する必要が減じた場合には、これらの米軍の一部が削減される可能性もある。日本がどう考えようとも、米国は現在、この規模の米軍を展開させておく必要性があると考えているのであって、この点を誤解してはならない。

一般にはあまりよく知られていないが、第7艦隊といっても恒久的な編成、規模を持っているものではなく、所属艦艇は常に変化しているし、その数も常に変わっている。米海軍は太平洋と大西洋に各々一つの大きな艦隊を保有している。太平洋艦隊と大西洋艦隊である。太平洋艦隊の担当範囲は米本土西海岸からアフリカ東岸まで、つまり太平洋とインド洋で、同じ作戦範囲を担当する、より上級の陸・海・空軍統合作戦組織、「太平洋軍」の指揮下で作戦を行う。同じように太平洋空軍、太平洋陸軍も太平洋軍の下で作戦することになっている。

2014年5月22日木曜日

八〇の質問を収めるカード

ソーターを使用した解析の話をするためには、質問票で集められたデータが、どのように数量化されるかという話をしなくてはなるまい。おそらく誰でも知っているデータ・カードの図である。一枚のカードには縦八〇の行があり一行には二一のパンチを打つことのできる空間がある。縦の行は普通、質問票にある一つの質問を、コンピュータ化することができるので、一枚のデーターカードは理論的には、八〇の質問を収めることができる。そこでたとえばここに「あなたはカーター氏を大統領に選びますか」という質問があるとする。そして質問表の計画により、第二〇行がこの質問にあてられているとする。次にこの質問に対する解答は三種類、つまり「①、ハイ、②、イイエ、③、ワカリマセン」の三つであったとする。このような場合「① ハイ」はパンチ1、「② イイエ」はパンチ2、「③ ワカリマセン」はパンチ3に、打ち込むという約束をするのである。

パンチとは文字通り紙のカードに小さな長方形の穴をキーパンチーマシン(keypunch machine)で打つことである。集められた特定の情報に対して、このようにカードの行数とパンチ数とを指定する過程は、コーディングと呼ばれる。そしてこの情報のカードの、コードを示した表はコードーブックの質問票があらかじめ質問に対する解答を準備して、コーディングを行っている場合は、質開票そのものが、コードーブックになっているわけである。

情報の数量化といってもなんのことはない。質問とそれに対する数種類の解答が、カードの行数とパンチの番号に翻訳される過程が、コーディングである。そしてその翻訳に従ってカードにパンチが打ち込まれれば、情報のコンピュータ化か完成するわけである。バークレーの方法論のクラスで私たちが渡されたのは、このようにしてパンチが打ち込まれたデーターカードの束であった。このデータはもともとバークレーのサーヴェイーリサーチーセンターがユダヤ人協会から依託された、反ユダヤ主義研究のデータであった。

あのデータの質問票は十何ページのパンフレットで、もとのデータは一人の被調査者について、データーカードー一枚に打ち込まれていた。方法論のクラスにいたわれわれ学生は、既にコンピュータの磁気テープに記録されていたデータのなかから、自分たちの好みに応じて、数十の質問を選び出していた。われわれはそれぞれ選び出したデータに基づいて、仮説を検証する課題を与えられていたのである。

忘れもしないあの調査のサンプルは二八七一人であった。ということは二八七一枚のIBMカードにデータが入っているということである。われわれは、そのカードの入った箱をかかえて四、五人ずつ夜のリサーチーセンターに通った。昼間は他の研究のため、ソーターを継続して使用することができなかったからである。われわれは慣れない手つきでソーターの右上の台にカードをそろえて置く。そして行数のダイヤルを目的の数に合わせて、スイッチを入れると、データーカードはソーターの上を流れて、それぞれのパンチに対応するポケットと呼ばれる箱のなかに分類されていく。

ソーターはカードのパンチの穴を引っかけて、パンチ1のカードは右端の第一のポケットに、パンチ2のカードは第二のポケットにというように、それぞれ一二のポケットに選び分ける。そしてソーターの目盛りはそれぞれのポケットに落ちたカードの数を、記録する仕組になっていた。まさに機械の名前のように、カードを数えて分類する(counter-sorter)のである。もちろんあの原始的な機械は、手で数えるより速くて正確である。しかしソーターをいじっていた仲間は皆一様に不器用だった。ソーターがカタカタいい出すと思うとたん、カードが機械に引っかかって無残に破れる。それと共に悲鳴ともため息ともつかぬ声が上る。カードが機械に引っかかると、われわれは時間をかけて破れたカードを一枚一枚、ていねいに機械から外さなければならなかった。そして破れたカードの破片を手掛りに、キーパンチーマシーンで一枚一枚カードを打ち直さなければならなかった。パンチが一つ狂ったらデータの数がすべて狂ってしまう。

2014年5月2日金曜日

モーゲージ・バックド・セキュリティ(MBS)

これらの四種はモーゲージ・バックド・セキュリティ(MBS)と総称され、パススルー証券として総括される。なぜパススルー(Pass-through)と呼ばれるのか。

それは発行金庫は同じような金利・期日等の抵当貸付金(モーゲージーローン)をまとめてプールして信託し、その信託証書を裏づけ(Backed)として商品化・流通化しやすい証券に細分化して発行する。

そして元利金や抵当物件上の権利はそのまま細分された債券の購入者に移行し、発行体をパススルーしてしまうからである。上記の四商品は保証・平均期間等が若干異なるが、基本的には発行者は抵当債権(資産)を実質上売却したと同じ効果がある。

モーゲージ担保債券(MBB)は七五年にS&Lなどが開発したもので、パススルー証書と異なり担保物件・元利金は債券購入者(投資家)に細分化・直結せず、表面的には発行体の発行する金融債と変わらず、ローン残高は発行体の貸借対照表にそのまま残っている。

一方、ペイスルー証券とは、パススルーとMBBの中間で、八三年にFHLMcが初めて開発した。現在は証券会社、貯蓄金融機関、保険会社なども続々と発行し、一般にCMO(Collat-eralized Mortgage Obligation抵当担保債務証書)として知られている。

発行体はモーゲージ・ローンを担保としてCMOを発行し、財務諸表上は債務として記帳されるが、元利金返済はCMO購入者(投資家)に直結(ペイスルー)しており、担保期間グループに応じ長中短各期の多様な債券が発行可能で、投資家のニーズに随時適合し、そのため多種多様の投資家をこの市場に呼びこむことに成功した。

民間発行体は主に特別の金融子会社を作り、これに発行させて自分は債務の直接負担者とはなっていない。しかし担保・格付けは厳格に守られているので投資市場での評価は良好で、最も標準的な抵当債権担保証券として着実に現在市場を拡大している。

2014年4月17日木曜日

国際金融危機の脅威

国際資本移動において枢要な役割を演じているユーロ市場では、原則として各種の規制が存在しない。また、当局によるユーロ銀行の監督も母国の銀行に対する監督に比べればそれほど厳格なものではないことが多い。この状況下では、仮に何らかの事態が発生し、ユーロ銀行が破綻に瀕した場合、インターパンク市場を通じて次々と他行に波及するリスクが無視しえなくなる。実際、ユーロ市場ではこれまで数度にわたって、ユーロ銀行の経営破綻や、ユーロ市場全体が危機に直面するシステミックーリスクを経験してきた。

主要国の金融当局は、こうした国際金融面におげる多くの問題に対応するため、IMF(国際通貨基金)やBIS(国際決済銀行)といった国際機関の場で協議してきた。このなかで、七四年に、主要先進国で構成されているG‐10(当初は主要先進一〇ヵ国で構成されていたが、その後二ヵ国を追加)は、こうした問題への対応に向けて。パーセル委員会(BIS本部がパーセルに置かれていることに因んだ通称)をBISの中に設置した。

同委員会の課題は、実体的に無規制の下で、あまりにも巨大化した市場から生じるさまざまなリスクに対して、これをいかに抑制し管理するかを検討するとともに、仮に金融危機が起こった場合の対応について、主要国間で基本的な合意を取り決めることであった。だが、パーセル委員会が打ち出した処方簾は、実際の金融危機に直面するとほとんど実効を伴わないものであった。そして、いくつかの試行錯誤のなかで辿り着いたのが、九二年三月末(日本は九三年三月末)から正式に適用されている、BIS自己資本比率規制であった。

七四年六月、ドイツの中堅銀行として名が知られていたヘルシュタット銀行が為替投機の失敗を主因に経営危機に陥り、監督当局から業務の認可取消し及び清算を命じられた。これを受けて、ユーロ市場では一気に流動性リスクが高まり、インターパンク取引を中心に重大な状況に陥った。一方、同行は外為市場において大規模な為替取引を行っていたが、同行とドル買い・マルク売りの外為取引を行っていた多数の銀行は、ドルの受取りが困難となり、多大の損失を被るごとになった。

ヘルシュタット銀行の閉鎖は、時間的には、同行からドルを買うために欧州市場でマルクの払込みを済ませた後、ドルの受取りが可能になる米国市場のオープンをみる前に命じられたからである。主要国間における資本取引の巨大化とともに、こうした外国為替取引に付随する決済リスクが絶大なものとなり、システミックーリスクが発生しかねないことが、はからずもヘルシュタット銀行の破綻で明確に認識させられることになった。