2014年10月1日水曜日

社会主義の問題点

十世紀頃、ヨーロッパで、イタリアの都市を中心としておこった商業の復活にはじまり、十四世紀から十五世紀にかけてのルネサンス、そして十五世紀末にはじまる大航海時代によって、輝かしい近代が開かれていったわけですが、近代的資本主義は、その経済的原動力を与えていたのです。そして、十八世紀後半から十九世紀にかけておこった産業革命を経て、資本主義の仕組みは、世界中にひろまっていきました。

産業革命の新しい科学技術は、資本主義のもとで、経済・社会の飛躍的発展という輝かしい成果を生み出しました。しかし、その半面、イギリスをはじめとする西ヨーロッパの国々は、強力な軍事力と強大な経済力をたくみに使って、アフリカ、アジアをはじめとして、世界中に植民地をつくり、人類の歴史にもまれにみる残忍で、苛酷な支配をおこなっていったのです。このことは、前にもふれましたが、この残忍で、苛酷な支配は、植民地にかぎらず、イギリス
など本国でも同じように深刻だったのです。レオ十三世が、「レールムーノヴァルム」で、資本主義の弊害といわれたのは、このような状況を意味されたのです。

近代的資本主義は、封建的な遺制を破って、新しい市民社会の形成に中心的な役割をはたしたのですが、十九世紀のおわり頃には、独占的資本家が、自分たちだけの利益を求めて、労働者を酷使し、消費者に不利な価格を決めていったのでした。また、海外での植民地獲得の競争はますます激しくなっていきました。二十世紀の前半に、二つの世界大戦が戦われ、人類史上最大の犠牲者を出しました。その主な原因の一つは、日本を含めた世界の先進資本主義諸国が、自分たちの市場を拡大するために展開した熾烈な植民地獲得のための競争だったのです。

レオ十三世は「レールムーノヴァルム」のなかで、資本主義の弊害を説き、同時に社会主義の幻想をもっことに対して、きびしい警告を出されています。社会主義の考え方は古くからありましたが、現在私たちが使っているような意味での社会主義という言葉を最初に使ったのは十九世紀に入ってから、サンーシモンやロバートーオーエンたちでした。しかし、社会主義の思想を体系的に展開し、政治運動の理論として完成させたのは、マルクスとエングルスでした。

マルクスは、資本主義のもとでは、恐慌が周期的におこり、貧富の差が極端に大きくなる傾向をさけられないと考えました。そして、社会主義革命かおこり、政治権力はプロレタリアート(財産をもたない労働者階級)によって専制的に行使され、私有財産制は廃止され、人々は能力に応じて働き、働きに応じて収入を得るという社会主義の世界が実現すると主張したのです。