2013年8月28日水曜日

沖縄に何を求めて人はやってくるのか

最大の比重を占めるのが第三次産業の三兆四五八二兆円である。実に九割を占める。ちなみに、〇四年度の観光収入は約四五〇〇億円だが、サービスや原材料の購入を通じて他産業に波及する効果は約六九〇〇億円で、これに付加価値効果の約三八〇〇億円をあわせると、域内総生産の四割を占める。現実問題として、今後も沖縄が基幹産業と呼べるのは、今のところ観光しかないのだ。『平成一八年度沖縄観光客満足度調査』によれば、旅行前に何を期待したかというと、「沖縄の海の美しさ」九四%、「沖縄らしい風景」が八八%、この二つがダントツで、三位以下を、「食事」五八%、「自然環境の保全状態」四九%、と続く。観光とは、読んで字のごとく「光を観る」ことであり、観光客は沖縄らしい風景を見に来るのである。

観光客の視点から言えば、日常的な生活空間を離れ、非日常的空間に浸りたいがために旅をする。たとえば、沖縄には今帰仁城跡や座喜味城跡など世界遺産に指定された「城」があるが、旅行者はこうした文化遺跡だけを目的に来るわけではない。一部をのぞけばい海岸を散歩したり、ちょっとした店で食事をしたり、沖縄という空気に浸ることで日常から解放されたいと願っているはずだ。古い町並みが遺った妻龍宿や萩、白川、高山などに観光客がやってくるのは、日常から失われてしまった町並みが、ここでは五感で感じ取ることができるからだろう。観光立県の沖縄に必要なのもこれと同じで、本土や海外の人間が失ってしまった非日常的空間ではないだろうか。

何か言いたいかといえば、「おもろまち」のような街を野放図につくり続ければ、それは本土の都市と変わらなくなり、非日常的でも何でもないただのミニ東京にすぎなくなる。それは、沖縄の観光が水泡に帰すときだ。ただ「暖かい」というだけで、わざわざ航空運賃を払ってまで来るだろうか。沖縄の空気を感じさせる景観づくり、あるいは島づくりこそ、沖縄の資産となる。景観づくりに失敗すれば、沖縄は先祖から受け継いできた資源を雲散霧消させる。それが「おもろまち」のような姿になってあらわれはじめたのだ。ゾーニング規制の甘さで沖縄の景観はズタズタになった景観でいえば、恩納村も例外ではない。

那覇から国道五八号線を北上すること一時間あまり、サトウキビ畑が広がる読谷村を抜けると、突然、左手に目が覚めるような東シナ海がせり上がってくる。ここが沖縄を代表するリゾート地・恩納村だ。〇七年度に滞在した宿泊客は二一四万人にのぼるという。亜熱帯気候の碧い海、抜けるように透明な空は、インドネシアのバリ島やフランスのニースといった世界のリゾート地にも匹敵するはずだが、どこを見渡してもバリ島やニースのような光景は目に入らない。似て非なるどころか、比べようもないほど貧相で退屈なのである。恩納村を南北に抜ける幹線の五八号線は、トラックがわが物顔に行き交う。立ち止まって数えると、上下線あわせて一分間に七台。それもほとんどがダンプカーである。観光客の目の前を、ダンプカーが排気ガスを巻き上げながら走るリゾート地は、世界広しといえどもここだけだろう。

さらに五八号線を北上すれば、安っぽい土産物屋や無国籍風のレストラン、それに派手な看板がやたら目に飛び込んでくる。道路沿いを走る無粋な電柱と電線は風景をズタズタにし、高級ホテルも民家も商業施設も渾然一体となっている。乱雑で狼雑で無秩序で、個性がないだけに、さらに安っぽく見える。最大の原因は、ゾーニング規制があいまいだからだ。ゾーニング規制というのは、地域を用途にあわせて分類することで、都市空間を有効に活用することでもある。沖縄県庁の観光を担当する職員に、「ゾーニングができていないから町がゴミゴミしているのではないか」と言ったところ、「いや、県ではきちんと規制をしています」とゾーニング規制の地図を見せてくれた。