2015年2月2日月曜日

財政出動はなぜ効かなかったか

民間資産の実質減価は、バブル崩壊後の日本経済にとって大きなデフレ要因になったわけだが、意外にも見逃されてきたのが、こうした為替レートの変動が景気対策に対して及ぼす影響である。

政府は円高の進行に対応して、以下のような大規模な景気対策を次々と講じてきた。

・92年、総合経済対策 10.7兆円
・93年、新総合経済対策 13.2兆円
    緊急経済対策 6兆円
・94年、総合経済対策 18.3兆円
・95年、緊急円高経済対策 4.6兆円
    経済対策 14.2兆円

これらは、合計すると65兆円、GDPの1割以上にも達する。しかし、こうした相次ぐ大規模な対策にもかかわら1930年当時、イギリスはなお、ポンド建て債券による世界最大の債権国であった。したがって、強いポンドはこの対外資産の価値やそれによる利子配当の価値を維持する点ではプラスであった。

しかしケインズはそうしたプラス面よりも、ポンド安による景気浮揚効果、とくに輸出産業の底上げを重視したのである。今日の日本の場合はいっそう条件が悪い。円建てによる対外投資チャネルがいまだに確立されずにいるため、「強い円」は、生産コストの増大により、フローとしての生産活動に打撃を与えるばかりでなく、ストックを通しても、対外純資産の為替差損という形で景気の停滞、デフレ効果をもたらす構造になっている。

円高下における大規模な財政出動による景気刺激策は、いわゆる「ケインズ政策」が、ワン・パターン化した景気対策として定着し、おそらくはケインズ自身も想定しなかったような状況で続けられたものと見ることができる。

平成不況に対する緊急対策が相継いだ時期を通して、日本の世論の主流を占めていたのは「少なすぎ、また遅すぎる」というアメリカ側の声に呼応するような主張であった。クリントン政権は、登場後、95年夏にいたるまで円高を進行させたが、一方で、そのために当然予想される日本の景気落込みには「懸念」を表明し、日本は日本で「万全の景気対策」についてサミットなどの場で説明し「理解」を求めてきた。対米公約に沿って景気対策を執行すれば、財政の破綻が迫ってくる。財政の破綻が迫れば、ムーディーズその他の米系格付機関による日本国債の格下げが気になってくる。

また、ブッシュ政権末期の日米構造協議は、日本に長期の公共投資拡大を約束させたが、これが公共工事に関連する政・官・業の利益集団のパワーを強化させることになった。こうした利益集団は円高による打撃からはもっとも遠く、逆に、円高の機を捉えて自らの利益とする政策、公共投資を誘導することには長けている。円の過大評価は、次章で見るように、日本経済の明日がかかるハイテク関連産業の海外展開を過度に進め、これら産業部門の空洞化を招く一方、日本の「土建国家化」を促す。これは産業構造の退行現象といえるだろう。

ケインズが説くような、通貨の過大評価を是正する方途が、はたして日本にはなかったのだろうか。私たちは、アメリカの政策当局者のわずかな口先介入が、しばしば潜在的条件からは説明できないほど大きな為替の変動を招き、逆に日銀の積極的な介入が焼け石に水といった状況をくり返し見せつけられている。これらの経験に照らしても、日本が景気対策の王道として、円相場の適正水準を自ら保持することは困難であるように思われる。

しかし、じつは有効な円高是正策がないわけではなかった。90年から95年にかけて、日米経済の再逆転の過程を追うなかで、アメリカが一貫して追求してきた円高・ドル安政策のインパクトを分析した。ここでも結論は次のように要約される。

日本政府が、早い時期に円建て投資環境の整備を押し進めていればどうであったか。円建ての対米資産が多ければ、いたずらに自国通貨ドル・ベースでの債務を膨らませる円高政策を、アメリカといえども、むやみに押し進めることはできなかったのである。

だが、日本の政策当局者は、すでに、70年代から80年代前半にかけての、かけがえのない好機を逸してしまった。95年以降、アメリカ経済の「一人勝ち」が喧伝されるなかで、日本経済には、マネー敗戦の荒涼とした戦後の光景が定着することになる。