2013年11月5日火曜日

第四代国王とブータン社会

わたしは、キリスト教の持つ崇高な価値に無感動ではないし、ブータンでかれらが教育と医療の分野で大きな貢献をなしていることは高く評価している。しかし、自分の信仰だけしか認めないという排他的普遍主義(これはキリスト教に限らず、他の宗教にもみられる)に内在する偏狭さ、独断性は、やはり不寛容であり、問題があると思う。宗教に関してラテン語に不条理なるが故に信ずという諺があるが、改めて深い叡智と謙虚さ、そして寛容への鍵があるように思える。主にキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の一神教三姉妹が信奉される地域で、原理主義的勢力による「宗教戦争」的紛争が絶えない現状を鑑みると、ブータン人の宗教的寛容性は改めて評価されるべきものだと思う。

「国のため、国王のため」わたしにとって、国立図書館顧問として中央政府の諸官庁に出入りし、大臣はじめ多くの官僚・役人と接触することになった一九八〇年代当初、一番気になったのは、政府全体が、しかもアメリカ、イギリスとかの欧米先進国の大学・大学院に留学した、わたしとほぼ同年代の三〇代の若いエリートまでが、異口同音に「国のため」あるいは「国王のため」と、ことあるごとに力説することであった。それは日本人のわたしの耳には、「お国のため」「天皇陛下のため」云々という、わたし自身は唱えたことはないが、あちこちで読み聞きした戦前の日本、それはわたしが受けた戦後民率王義教育では本質的に否定されているものを想起させるもので、何とも時代錯誤な、そして本音ではない建前上の対外的な謳い文句としか聞こえなかった。

いわんや、これだけ高度に技術化・専門化が進んだ時代にあ戸て、わたしより七歳も若く、大学はおろか高校も卒業していない二〇代後半の国王が、国政のすべての分野にわたって先見があるなどということは、とうてい信じられないのに、それを「先見の明かある賢明な君主」と称えるなど、とても本気で言っているとは思えなかった。しかし三年、四年とブータンに生活し、政府のことだけではなく、一般民衆のことも少しずつわかってくるにつけ、わたし自身のブータン国王および王制にたいする最初の印象・判断がけっしてそのまま正しいものではないという認識が徐々に強まった。まず第一に、人口六〇万足らずという小さな国であり、中央政府といってもほんの小所帯であるからであろうが、役人にとってはもちろんのこと、一般国民にとっても、国王は、恐れおおく近寄り難い存在ではなかった。

すべての国民には直訴権が認められており、それはよく行使された。役人でも、何らかの責任職にある者は、重大な事項・決議にさいしては、ほとんどが例外なく国王とさしで討議する機会を持ち、親しみと畏敬を混えてビッグーボス夭親分)と呼び慣わしていた。そして誰もが「国王の前では、いいかげんなことは口にできない」と国王の勉強・精通ぶりを称え、その前に呼ばれるのを恐れると同時に、それを心待ちにしていた。そして、一回でも呼ばれたことがある役人は、それをこの上なく誇りにした。威厳を持った親政者と献身的な忠臣、その間に張り詰めるキリツとした緊張感と、その逆の非常に打ち解けた和やかさ。そこには筆舌に尽くせないチームワークの妙が感じられた。

こんなことは、どこの王制下にもあった、そして今でも他の王制下にもある、一部の側近だけに許された特権なのかもしれない。でも、ひょっとしたら名君だけが作り出せる関係・雰囲気なのかもしれない。他の王制を経験したことがないわたしには、比較の術がなかった。わたしは、第二次世界大戦後の民主主義象徴天皇制の下に生まれ育ち、どちらかといえば天皇に親しみを抱いていたが、如何せん天皇はわたしには縁遠い存在であった。そうしたわたしには、こうして国王に畏敬の念をもって、り献身的に尽くすことができるブータンの同世代の役人が、どこかたまらなく羨ましく思えた。王制下でのかれらの意欲、やりがい、充足感、誇りは、象徴天皇下のわたしにはまったく無縁な、味わいたくても、味わえないものであった。