アジア大陸に目を転じると、パキスタンからインド北西部を通過してバングラデシュに到る一帯。さらに、インド北部からネパールのヒマラヤ山麓へと続く。東南アジアでは、タイ北東部からマレーシア、インドネシアのボルネオ島、フィリピンへと弧状に伸びる。中南米では、メキシコから中米を通り、カリブ海を経てコロンビア、ペルー、ボリビアなどのアンデス山脈の一帯である。いずれも、慢性的な貧困ベルトであり、飢餓地帯であり、そして災害の多発に悩まされるI帯である。このベルトをよく調べると、四つに大別することができる。
- 乾燥地帯・・・サヘル地方がその典型だが、インド北西部のタール砂漠周辺、アンデス地方の太平洋岸も乾燥地帯である。
- 高地の山麓地帯・・・エチオピアに代表される「東アフリカ高地」、それにヒマラヤ山麓、アンデス山中が該当する。
- 熱帯林地帯・・・西アフリカのギュア湾沿い、東南アジア、アンデス山脈東側のアマゾン、カリブ海一帯など。
- 沿岸の湿地帯・・・西アフリカ、バングラデシュ、タイヤマレーシアなどの東南アジア、カリブ海などの海岸ぎわのマングローブ林に代表される熱帯の海岸地帯。
今世紀に入って、アフリカ大陸はほぼ10年に一度の割で、干ばつに襲われてきた。その中で、初めて国際社会の関心を集めたのは、1968年~73年の干ばつであった。サハラ砂漠の南側に連なる乾燥地帯で、2500万人が被災、10万~20万人と推定される餓死者を出した。同時期、エチオピアでも20万を超える人が飢え死にしていた。そして、1982~85年の最近の干ばつは、3500万人が餓死線上をさ迷い、300万人以上が死んだと推定されるほど悲惨なものになった。いずれも、サヘル地方からエチオピアにかけて被害が集中した。
この飢餓の模様は、情報化社会の真っただ中で起こり、テレビや新聞によって世界中に報道されたこともあって、大きな関心を集め、多くの国際機関や研究者によって、干ばつの原因やこれだけ被害の広がった理由が模索されてきた。以前までは、異常気象による雨不足が深刻な干ばつを招いたとされてきた。だが、過去に周期的に干ばつが襲ってきているのにも関わらず、最近の千ばつほどの被害はなかった。そのため変わってきたのは、気象だけではなく、干ばつを受け止めてきた自然や人間の側ではないか、とする議論が活発になってきた。