三浦さんはまた、「この仕事を続けてきてほんとうによかったと感じるのは、どんなときですか」との質問も寄せていますが、自分の心理療法家としての資質を疑うことがある反面、続けていてよかったと感じることも、もちろんあります。すごくむずかしい症状の人がよくなっていくのは、非常にうれしいことです。
なにしろ、私たちはすごく苦労している人たちと会っています。そういう人がやがて結婚し、子どもができたとか、その後のことを知らせてくれます。そういうときは、ああ、頑張っているな、よかったなと思います。
しかし、これもプロ野球の選手と同じではないかと思います。プロ野球の選手というのは、劇的な逆転ホームランを打っても忘れている人かおりあい多い。往年の巨人軍の名選手、与那嶺要さんは、現役をやめるとき、選手時代の忘れられない思い出として、こんなことを言っていました。
「ほとんどは覚えてないけど、はじめてドラッグバントをして成功したときのことだけは忘れません」私も劇的な事例にはたくさん出会っていますが、そういうのはほとんど忘れています。
ただ、与那嶺さんのドラッグバントに匹敵するような話では、たとえば、ほかでも書いた事例ですが、「十三年目の手紙」というのがあります。
それは、ずいぶん昔のことですが、小学校四年で拒食症になった女の子のケースです。小学校四年生くらいで拒食症になるというのは、すごい重症です。いまでこそそういう子どもがだいぶ増えてきましたが、昔はそういうことはめったにありませんでした。
その子は親に連れてこられたのですが、会ってみたところ、非常にむずかしそうでした。それで「また来るかい?」と聞いたら、「もう来ない」と言う。残念ですが仕方かおりません。
一回、話を聴いただけで、私もこの子はもう来ないだろうと思っだので、帰ったあと、彼女に「来なくてもいいけど、気が向いたら、いつでもいいから手紙くらいください。必ず返事を出します」というような内容の手紙を書きました。
それからは親と面接をしていくうちに、本人もしだいによくなって、数年で完全に治りました。そして、もう関係なくなって忘れていたんですが、それから十三年後に、突然、彼女から手紙が来たんです。
「先生は覚えておられますか。先生はいつでも手紙を出していいと言っておられたから、ふっと思いつきましたので」とあって、最後のほうにこう書いてあったのです。
「先生からいただいた手紙は、いまもずっともっています。それは、私を支える宝でした」私は、出しても返事が来ないからそれっきり忘れていましたが、そういうかたちでその子を支えていたとわかったときは、この仕事をやっていてほんとうによかったと思いました。
2012年6月20日水曜日
外国の心理療法家はみんな多忙です。
アメリカ留学中には、前述のようにクロッパー先生が大変に目をかけてくださって、大学の講義が終わったあと、たとえば病院へのスーパーバイズ(臨床の実際例について、指導をすること)など、いろいろなところに連れていってもらいました。
そのときに先生の車に同乗させてもらうわけですが、いつも仕事がびっしりで、ちょっとそのへんのスタンドで買ってきたサンドイッチなどで昼食をすませて、次の仕事、次の仕事と、精力的にこなしていきます。
そこで、私が「先生はほんとうにお忙しいんですね」と言ったら、こんな返事でした。「私はアナリストです」そのときに、ああ、分析家というのはこういうものなのかと、つくづく思いました。
そのへんでぼやっとしている時間など、まったくないのです。これはなにもクロッパー先生だけが特別ではなく、外国の心理療法家はみんな多忙です。
ただ、外国人の場合は、休みをとるときには、きっちりととります。私たち日本人には、これがなかなかできません。欧米人はそこが違います。
私など、土日もなく仕事をしていますが、彼らは土日には必ず休みますし、夏休みは1ヵ月間、きっちりとります。日本では、「来月一ヵ月間は夏休みをとりますから」などと言っても、通りません。
そういうことが、なにか罪悪であるかのように受けとられる傾向があるし、実際、ものごとが動かなくなります。ただ、外国へ行くことは許容してくれるので、外国へ行っているときというのは、私には非常に大事な時間になります。
そのときに先生の車に同乗させてもらうわけですが、いつも仕事がびっしりで、ちょっとそのへんのスタンドで買ってきたサンドイッチなどで昼食をすませて、次の仕事、次の仕事と、精力的にこなしていきます。
そこで、私が「先生はほんとうにお忙しいんですね」と言ったら、こんな返事でした。「私はアナリストです」そのときに、ああ、分析家というのはこういうものなのかと、つくづく思いました。
そのへんでぼやっとしている時間など、まったくないのです。これはなにもクロッパー先生だけが特別ではなく、外国の心理療法家はみんな多忙です。
ただ、外国人の場合は、休みをとるときには、きっちりととります。私たち日本人には、これがなかなかできません。欧米人はそこが違います。
私など、土日もなく仕事をしていますが、彼らは土日には必ず休みますし、夏休みは1ヵ月間、きっちりとります。日本では、「来月一ヵ月間は夏休みをとりますから」などと言っても、通りません。
そういうことが、なにか罪悪であるかのように受けとられる傾向があるし、実際、ものごとが動かなくなります。ただ、外国へ行くことは許容してくれるので、外国へ行っているときというのは、私には非常に大事な時間になります。
心理療法家の基本姿勢
心理療法家の基本姿勢は、クライエントの実現傾向を尊重していくということですが、自分が資格をもった専門家であるということを過大に意識しすぎると、基本姿勢が崩れ、他人に対して自分の信じる理論を適用して、判定したり、コントロールしたりしたくなってきます。しかも、それは治療者にとっては非常に楽な方法なので、ついおちいりがちな弊害です。
自分は専門家だから、クライエントよりも上にいるのだと感じると、もっとも大切な関係性が破壊されてしまいます。このことのみを意識すると、「クライエントと対等の関係になるべきなので、専門家であってはならない」という主張も出てくるわけですが、それは、「専門家」の意味を狭くとらえすぎています。
未知の世界にともに進んでいくという点では、私だちとクライエントとは対等ですが、それにある程度役立つ知識や技法をもっている点においては、同等ではありません。この「ある程度」というところに、心理療法家の専門性の微妙なニュアンスが存在しているのです。そして、このようなことを細部にいたるまで、身についた知識としてもっていることが要求されるのです。
深層心理学の知識を身につけると、他人の心がわかったような気になり、また、わかったように言ったりしている人がいますが、そういう人は、私の考えている専門家ではありません。
現象の外側に立って観察したり操作したりするのではなく、現象の中に自らも入りこみながら、しかも自分の足場を失ってしまうことがない専門家が望まれるのです。
自分は専門家だから、クライエントよりも上にいるのだと感じると、もっとも大切な関係性が破壊されてしまいます。このことのみを意識すると、「クライエントと対等の関係になるべきなので、専門家であってはならない」という主張も出てくるわけですが、それは、「専門家」の意味を狭くとらえすぎています。
未知の世界にともに進んでいくという点では、私だちとクライエントとは対等ですが、それにある程度役立つ知識や技法をもっている点においては、同等ではありません。この「ある程度」というところに、心理療法家の専門性の微妙なニュアンスが存在しているのです。そして、このようなことを細部にいたるまで、身についた知識としてもっていることが要求されるのです。
深層心理学の知識を身につけると、他人の心がわかったような気になり、また、わかったように言ったりしている人がいますが、そういう人は、私の考えている専門家ではありません。
現象の外側に立って観察したり操作したりするのではなく、現象の中に自らも入りこみながら、しかも自分の足場を失ってしまうことがない専門家が望まれるのです。
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