2016年4月1日金曜日

貧富の格差

それでは「新保守主義」の本家だったレーガン米政権とサッチャー英政権のもとで、なにが起きたのかを簡単にみてみよう。

まず、福祉政策と雇用政策では、米国では福祉政策の給付基準の「厳正化」が行われた。二、三の例を挙げると、まず低所得者に対する医療費補助制度(MEDICAID)では、「厳密な」審査基準を設け、定期的に再審査するようにしたため、レーガン政権の八年間に五十万人が受給資格を失った。低所得者に対する食料切符(フでドスタンプ)の受給資格が数度にわたって厳しくされたうえ、受給資格者の収入は、連邦政府が毎年定めるかつかつの生活しかできない「貧困水準」の一三〇%以下とすることになった。このように多くの福祉政策事業での給付基準の「厳正化」で、それぞれ数十万人単位で受給資格者が減った。

年金の分野でも一九八三年に年金に対する課税や給付年齢の段階的な引き上げなどがなされ、大多数の米国人にとって将来の人生設計が立ちにくくなった。それに加え、「規制緩和」の掛け声のもと、退職年金を管理している企業に対して、一定額を投資に回すことを認めたため、投資が失敗し、年金資金が減ったり、場合には倒産して年金そのものが消えてしまう事態が全国で発生した。

サッチャー政権も、重複をさけるため詳細は省くが、社会保障、とくに低所得者層にたいする給付基準を「厳しく」して、伝統的な福祉の「安全ネット」にいくつもの穴をあけ、規模も縮小した。

次に減税政策をみてみよう。レーガン政権は発足した一九八一年の税制改正で、三年間にわたり平均二三%の個人所得税の減税を行ったが、高所得者を優遇し最高税率も七〇%から五〇%に引き下げた。さらに、株式や土地取引による収入、いわゆるキャピタル・ゲインに対する税率は二八%から二〇%に引き下げられた。逆に法人税は設備投資と不動産投資に対する償却負担の軽減、投資税額控除の控除率が引き上げられた。