その中で消費に回す時問をこれ以上増やせるのか。難しいとすれば、時間当たりの消費単価を上げるしかない。それは従来よりも高価なものを消費してもらうことによってしか達成できませんね。どうやったらそういう傾向を作り出せるのでしょうか。そういう傾向を長期的に継続させることは可能なのでしょうか。たとえば高価なヨットを買わせるとしましょう。でもそれに乗るには時問が必要です。高価なステージを見に行くとしましょう。やっぱり時間が必要だ。高価な食材を買って、食べずに貯めるとか捨てていくとかすればいいのでは? そうなんです。「買うだけで使わない」という行動を増やしていかない限り、どこかで消費に使える時間の限界が来てしまうのです。
こういうふうに時問を単位にして考えると、一人当たりの消費水準がすでに高くしかも人口が減っている日本のような国での、一人当たりではなく総額としての経済成長というものがいかに困難か、よくおわかりいただけると思うのです。人開か消費というものに飽きない、まるで買い物中毒やギャンブル中毒のようにカネと時間があればより高い商品やサービスの購人につぎこみ続け、しかも買った後には使わない、という状況を想定しない限り、「消費の対時間生産性」がいつまでも伸び続けるというのは想像できません。
一つの打開戦略は、すでに最初の方でお話ししたように、日本の商品がフランス、イタリア、スイスに対抗できるようなブランドを獲得していくこと、国民自身が、そういうプランド価値の高い商品をなるべく消費することです。これは単価上昇を通じて、確かに「消費の対時間生産性」を上げます。ですがすべての商品がそうなれるというわけではありません。といいますか日本の諸産業の多くは、現実に過当競争の中での値下げ競争にあえいでいます。彼らが値下げすればするほど、逆に「消費の対時間生産性」は下がっていってしまいます。近代経済学もマルクス経済学も、労働と貨幣と生産物(モノやサービス)を基軸に構築されてきた学問です。ですが現代の先進国において絶対的に足りないもの、お金で買うこともできないのは、個人個人が消費活動をするための時間なのです。
最も希少な資源が労働でも貨幣でも生産物でもなく実は消費のための時間である、というこの新たな世界における経済学は、従来のような「等価交換が即時成立することを前提とした無時間モデル」の世界を脱することを求められています。我こそば経済学を究めん、と思っている方。ぜひこの「時間の経済学」を考え直し、そして、国民総時間の減少という制約を日本は乗り越えられるのか、という私の問いに答えを出してください。声高に叫ばれるピントのずれた処方たち。長い旅をして参りましたが、ようやくこれまでのところで、日本経済が直面している人口成熟問題のラフスケッチをお示しすることができました。さてそれでは、その上うな深刻な状況にどのように対処していけばいいのでしょうか。そもそも「人が歳を取る」という物理現象に原因があるわけですから、これは対処が可能な問題なのでしょうか。
ご安心ください。対処は相当程度まで可能です。あきらめて座っているヒマがあったらすぐに自分で実践できることが幾つもあります。ただし、一見もっともらしいけれども論理的に破綻していて、やればやるほど経済を損なう大嘘話も世の中には大量に流れていますから、よくよく注意が必要です。そこでまず、世間でよく耳にするさまざまな議論が本当に有効なのか、「生産性さえ上げれば大丈夫」という通念の誤りはすでにご指摘しましたので、それ以外のものを取り上げて、これまでと同じく先入観を排して、論理的かつ現実的に検討してみたいと思います。 「経済成長こそ解決策」という主張が「対策したフリ」を招く日本経済再生への各種の提言を耳にする中で、「マクロ政策で事態を何とかせよ」と主張するものの中には、「おいおい、本当かいな?」と思うものが何種類かあります。その代表が「とにもかくにも経済成長(=GDPの増加)を達成することが大事だ」という意見です。いや意見といっては失礼かもしれない、政官財学の各界の総意であるかもしれません。