この当時、自動車などの耐久消費財の需要も増加した。これも一時的な増加にすぎなかったのだが、需要増加を構造的なものと見誤った企業は、生産設備の積極的な拡張を行なった。それが企業収益を長期間にわたって圧迫したのである。これについての詳細は、つぎの文献を参照。野口悠紀雄『バブルの経済学』日本経済新聞社。
それでは、日本経済は、現在いかなる構造変化に直面しているのか?ここでは、とくに重要なものとして、アジア諸国の工業化、新しいネットワーク技術の展開、人口高齢化の三点を指摘したい。構造変化の第一にあげられるのは、一九八〇年代後半以降のアジア諸国に起こった急速な工業化である。短期的にみれば、ここ数年間、アジア諸国は金融危機や通貨危機によって混乱した。ただし、これはどちらかといえば、一時的な現象である。長期的にみれば、アジア諸国は、今後も成長を続けると考えられる。つまり、これは、構造的な変化だ。
アジア地域は、二一世紀に向かう成長センターといわれている。今後の世界経済の焦点がここにあることは、疑いないだろう。めざましいNIESの経済発展 アジア諸国のなかには、NIES、アセアン、中国という、発展段階の異なる三つのグループが含まれる。「NIES」には、韓国、台湾、シンガポール、香港の四つの地域が含まれる。これらの地域は、以前から工業地域ではあったが、その中心は、労働集約的な軽工業だった。
しかし、一九八〇年代に、NIESはハイテク産業や重化学工業に進出した。現在では、この分野で世界をリードする先進的な工業国となっている。たとえば台湾は、世界一のパソコンの生産国だ。NIESの経済発展がいかに著しいかは、さまざまなデータでうかがうことができる。ここでは、つぎの二つのデータをみよう。表は、一人当たり国民所得を比較したものである。これは、国の豊かさや発展段階を示すものとして、しばしば用いられる指標だ。
一九八〇年代までは、シンガポールや香港は、英国よりもかなり低い水準にあった。われわれがもっているイメージは、これに近い。ところが、一九九三年に、シンガポールと香港の一人当たり国民所得は、英国を抜いた。その後も英国との差ぱ開いている。つまり、これは一時的な変化ではなく、構造的な変化である。現在、シンガポールは、一人当たり国民所得で米国や日本をも抜いており、世界で最も豊かな国の一つとなっている。
2015年7月1日水曜日
アメリカ科学アカデミー紀要
当時、三十一歳だった夫より十歳ほど年長の博士は、心身共に充実した時期だったのですね。「先生は、僕たちが夜明けまで実験していると思っているのかな」と研究室の仲間も笑っていました。「この生活がもっと続いてもいいな」と、私は思い始めていました。日本では大学院生でしたが、ここではフェロー(研究員)として朝九時から夜八時ごろまで枯草菌のDNA合成酵素の研究に取り組み、給料も頂ける。しかも、雑務や人間関係に煩わされることもまったくなく、研究に没頭できるのです。
アメリカにいた方が、展望が開けそうな気がしていました。日本に帰っても、女性には研究者の職なんて考えられない時代でしたから。アメリカの女性研究者たちが、うらやましく思えたものです。夫も留学中に名古屋大が休職扱いになり、在籍していた研究室の指導教授も辞めていました。「帰る場所がなくなってしまったな」と悩んでいた夫に、思いがけず、大学から「生化学教室の助教授にどうか」というお話がありました。日本で好きな研究に取り組むことができるかもしれない。六三年三月、私たちは帰国の途につきました。実験器具の不備などの困難は覚悟の上でした。
七三年春に下の娘が生まれだ直後、夫の岡崎令治が白血病を発病しました。国際的な評価を受けた「DNA不連続複製」の仮説を完全に実証するため、研究室の総力を挙げて取り組んでいる最中でした。夫の白血病がわかったのは、手の皮膚におかしな出血が始まり、検査してもらったからでした。ぼう然としている私に、「余命はあと二年あるかどうかです」と医師が告げました。広島に実家があり、「旧制中学の時に被爆した」とは聞いていました。被爆との因果関係はわかりませんが、夫はあの夏のことを思い出したようでした。
四五年八月六日に原爆が投下された時は学徒動員で郊外にいて命拾いしたのですが、「直後に市内に戻って何日か野宿した」といいます。被爆者手帳も持っていて、五六年に結婚した時には、私の両親も夫の健康を心配していました。発病してからも、夫の研究に対する姿勢は変わりませんでした。目立った症状もなく、七五年に入院するまで、研究を全力で続けました。DNAの不連続複製の仮説は六七年に『アメリカ科学アカデミー紀要』に発表しましたが、未解決の課題が残されていました。DNA短鎖の合成が始まる仕組みがわかっていなかったのです。私たちは、RNAが合成開始にかかわっている可能性を検討しようとしていました。
七五年三月、私たちはカナダで開かれた国際会議に招待され、最後の旅に出ました。カリフォルニアにも足を延ばし、恩師のアーサー・コーンバーグ博士にお別れの挨拶をした後十四年前の留学時代に二人でよくドライブした思い出の道を夫が運転しました。サンフランシスコに通じるひなびた道です。夫の体を気遣うコーンバーグ博士からは、「絶対に運転させないように」と言われていたのですが、夫は運転をやめませんでした。帰国後、夫はすぐ入院して四か月後の八月一日に亡くなりました。四十四歳でした。大学助手の身分だった私は、研究のことや子供のことなどで助言が欲しかったのですが、夫は「好きにしたらいい」としか言ってくれませんでした。
アメリカにいた方が、展望が開けそうな気がしていました。日本に帰っても、女性には研究者の職なんて考えられない時代でしたから。アメリカの女性研究者たちが、うらやましく思えたものです。夫も留学中に名古屋大が休職扱いになり、在籍していた研究室の指導教授も辞めていました。「帰る場所がなくなってしまったな」と悩んでいた夫に、思いがけず、大学から「生化学教室の助教授にどうか」というお話がありました。日本で好きな研究に取り組むことができるかもしれない。六三年三月、私たちは帰国の途につきました。実験器具の不備などの困難は覚悟の上でした。
七三年春に下の娘が生まれだ直後、夫の岡崎令治が白血病を発病しました。国際的な評価を受けた「DNA不連続複製」の仮説を完全に実証するため、研究室の総力を挙げて取り組んでいる最中でした。夫の白血病がわかったのは、手の皮膚におかしな出血が始まり、検査してもらったからでした。ぼう然としている私に、「余命はあと二年あるかどうかです」と医師が告げました。広島に実家があり、「旧制中学の時に被爆した」とは聞いていました。被爆との因果関係はわかりませんが、夫はあの夏のことを思い出したようでした。
四五年八月六日に原爆が投下された時は学徒動員で郊外にいて命拾いしたのですが、「直後に市内に戻って何日か野宿した」といいます。被爆者手帳も持っていて、五六年に結婚した時には、私の両親も夫の健康を心配していました。発病してからも、夫の研究に対する姿勢は変わりませんでした。目立った症状もなく、七五年に入院するまで、研究を全力で続けました。DNAの不連続複製の仮説は六七年に『アメリカ科学アカデミー紀要』に発表しましたが、未解決の課題が残されていました。DNA短鎖の合成が始まる仕組みがわかっていなかったのです。私たちは、RNAが合成開始にかかわっている可能性を検討しようとしていました。
七五年三月、私たちはカナダで開かれた国際会議に招待され、最後の旅に出ました。カリフォルニアにも足を延ばし、恩師のアーサー・コーンバーグ博士にお別れの挨拶をした後十四年前の留学時代に二人でよくドライブした思い出の道を夫が運転しました。サンフランシスコに通じるひなびた道です。夫の体を気遣うコーンバーグ博士からは、「絶対に運転させないように」と言われていたのですが、夫は運転をやめませんでした。帰国後、夫はすぐ入院して四か月後の八月一日に亡くなりました。四十四歳でした。大学助手の身分だった私は、研究のことや子供のことなどで助言が欲しかったのですが、夫は「好きにしたらいい」としか言ってくれませんでした。
2015年6月1日月曜日
労働コストの安定がインフレの芽
債権国・日本が90年代に入って経験した不況は、戦後未曾有のものであった。この不況の原因は、じつは複雑である。金融機関の不良債権問題のみが声高に叫ばれたのは、その解決が急がれたという意味では正論であろうが、そればかりが強調されては不況の全体像を捉え損ねることにもなりかねない。不良債権問題それ自体が、プラザ合意後の対米協調金利政策の結果であることはこれまでに見てきたとおりだが、ここで強調しなければならないのは、アメリカの円高誘導策が平成不況に及ぼした直接的な影響についてである。
まず、これをモノ作り部門について見てみよう。バブル崩壊のもとでの円高の進行は、アメリカの好況のちょうど裏返しの影響を日本経済に与えたといえる。その中心的経路は、製造業との関連では次のように整理される。「円高→輸出減・輸入増→鉱工業生産の低下→労働生産性の停滞→単位労働コストの底上げ」さらに実効レートによる円高の程度がドル安のそれより大きかったことが、その影響をはるかに強烈なものとした。先にアメリカのドルについて見た為替の実効レートは、円の場合、95年には90年に対し約4割も上昇している。これは、主要貿易相手国としてアメリカの占める割合がきわめて高く、また、90年以降は、ドル安というより円の独歩高が続いたためであろう。
これらの指標のうち単位労働コストについて見てみよう。単位労働コストは、91~95年の間、自国通貨(円)ベースの上昇率(ベース・アップなどによる通常の上昇率)は6~7%でアメリカとあまり差がないのに、これを実効為替レートではじくと5年間の上昇はきわめて大幅である。このように単位労働コストが対外的には大幅に上昇したことが、「産業空洞化」を過度に進めるとともに、円高による「輸入価格の低下→デフレ圧力」との間で大きな矛盾となった。輸入価格の低下によるデフレ圧力がある一方で、海外の産業との価格競争力を左右する実効為替レートでの労働コストが上昇した。これでは製造業部門は立ち行かない。労働コストの安定がインフレの芽を摘むという好循環を呼んだアメリカの場合とは対照的である。
まず、これをモノ作り部門について見てみよう。バブル崩壊のもとでの円高の進行は、アメリカの好況のちょうど裏返しの影響を日本経済に与えたといえる。その中心的経路は、製造業との関連では次のように整理される。「円高→輸出減・輸入増→鉱工業生産の低下→労働生産性の停滞→単位労働コストの底上げ」さらに実効レートによる円高の程度がドル安のそれより大きかったことが、その影響をはるかに強烈なものとした。先にアメリカのドルについて見た為替の実効レートは、円の場合、95年には90年に対し約4割も上昇している。これは、主要貿易相手国としてアメリカの占める割合がきわめて高く、また、90年以降は、ドル安というより円の独歩高が続いたためであろう。
これらの指標のうち単位労働コストについて見てみよう。単位労働コストは、91~95年の間、自国通貨(円)ベースの上昇率(ベース・アップなどによる通常の上昇率)は6~7%でアメリカとあまり差がないのに、これを実効為替レートではじくと5年間の上昇はきわめて大幅である。このように単位労働コストが対外的には大幅に上昇したことが、「産業空洞化」を過度に進めるとともに、円高による「輸入価格の低下→デフレ圧力」との間で大きな矛盾となった。輸入価格の低下によるデフレ圧力がある一方で、海外の産業との価格競争力を左右する実効為替レートでの労働コストが上昇した。これでは製造業部門は立ち行かない。労働コストの安定がインフレの芽を摘むという好循環を呼んだアメリカの場合とは対照的である。
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