月末になると請求書がくるわけだ。もっと想像を膨らませば、ホームージュークボックスなどというのも考えられる。六〇年代風のロックンロールーパ上アイー、二人のロマンチックなディナー、テキサスーメキシカン風の野趣あふれるバーベキュー用に、もちろんあなた向きにあつらえて、夕べの音楽をオーダーできるのだ。電気信号にスクランブルをかけて録音はできないようになっており、聴くたびに支払うシステムである。それでは、我々が知っているようなレコード店はどうなるだろうか。そう、彼らはもはや過去のものである。
最後にもう一つ例を挙げてみよう。一〇年か一五年たてば、今我々が見ているようなパソコンは骨董品になってしまう可能性が高い。パソコンというのは結構悩みの種である。ハードディスクが壊れたり、メモリーが足りないという表示がいきなり出たり、新しいソフトウエアや拡張カードの複雑怪奇な設定で悪戦苦闘したり、ハッカーが夜中にいっさいがっさい持っていってしまうことを心配したりと、経験者ならパソコンには欠点もあるということがわかるはずだ。
しかし、もし情報公共サービスなどというものがあったらどうだろうか。電子手帳や携帯電話を持ち歩く代わりに、インフォポート(情報端末)とでもいう、画面と電話接続端子、それからタッチペン、キーボード、あるいばマイクなどの入力手段をフル装備した小さな機器を持ち歩くのだ。インフォポートを使って、ユーザーはAT&Tか、ブリティッシューテレコム、あるいはペルーアトランディックにある、小さな自分のフォルダーに接続する。その小さなフォルダーには自分のすべてのファイルが安全に保存されていて、夜中に泥棒が入ったり、電圧変動が起きたりする危険もない。
新しいソフトウェアが必要になったらいつでもすぐ手に入る。保存容量が足らなくなったら?心配ない。すぐに追加してもらえる。すぐ容量が足りなくなったり壊れたりするパソコンなどではなく、容量はほとんど無限で、ずっと頑丈な情報公共サービスが使えるのだ。この例はいささか夢物語に聞こえるかもしれないが、既存の市場と潜在的な市場の両方について機能面から考えられなければ、未来をつくり出すことはほとんど不可能である。
未来をつくり出す一つの方法は、従来の機能をまったく新しい手段で実現することである。このよい例がヤマハの電子ピアノである。従来のピアノをコンピューター技術の面から見直すことで、一つ一つの音、一つ一つのニュアンスにいたるまで偉大なピアニストの演奏を、自称ルビンシュタインが再現できるようにした。既存の機能に新しい衣装を着せた例としてはほかに、シャープの電子手帳や現金自動支払機がある。
2013年11月5日火曜日
第四代国王とブータン社会
わたしは、キリスト教の持つ崇高な価値に無感動ではないし、ブータンでかれらが教育と医療の分野で大きな貢献をなしていることは高く評価している。しかし、自分の信仰だけしか認めないという排他的普遍主義(これはキリスト教に限らず、他の宗教にもみられる)に内在する偏狭さ、独断性は、やはり不寛容であり、問題があると思う。宗教に関してラテン語に不条理なるが故に信ずという諺があるが、改めて深い叡智と謙虚さ、そして寛容への鍵があるように思える。主にキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の一神教三姉妹が信奉される地域で、原理主義的勢力による「宗教戦争」的紛争が絶えない現状を鑑みると、ブータン人の宗教的寛容性は改めて評価されるべきものだと思う。
「国のため、国王のため」わたしにとって、国立図書館顧問として中央政府の諸官庁に出入りし、大臣はじめ多くの官僚・役人と接触することになった一九八〇年代当初、一番気になったのは、政府全体が、しかもアメリカ、イギリスとかの欧米先進国の大学・大学院に留学した、わたしとほぼ同年代の三〇代の若いエリートまでが、異口同音に「国のため」あるいは「国王のため」と、ことあるごとに力説することであった。それは日本人のわたしの耳には、「お国のため」「天皇陛下のため」云々という、わたし自身は唱えたことはないが、あちこちで読み聞きした戦前の日本、それはわたしが受けた戦後民率王義教育では本質的に否定されているものを想起させるもので、何とも時代錯誤な、そして本音ではない建前上の対外的な謳い文句としか聞こえなかった。
いわんや、これだけ高度に技術化・専門化が進んだ時代にあ戸て、わたしより七歳も若く、大学はおろか高校も卒業していない二〇代後半の国王が、国政のすべての分野にわたって先見があるなどということは、とうてい信じられないのに、それを「先見の明かある賢明な君主」と称えるなど、とても本気で言っているとは思えなかった。しかし三年、四年とブータンに生活し、政府のことだけではなく、一般民衆のことも少しずつわかってくるにつけ、わたし自身のブータン国王および王制にたいする最初の印象・判断がけっしてそのまま正しいものではないという認識が徐々に強まった。まず第一に、人口六〇万足らずという小さな国であり、中央政府といってもほんの小所帯であるからであろうが、役人にとってはもちろんのこと、一般国民にとっても、国王は、恐れおおく近寄り難い存在ではなかった。
すべての国民には直訴権が認められており、それはよく行使された。役人でも、何らかの責任職にある者は、重大な事項・決議にさいしては、ほとんどが例外なく国王とさしで討議する機会を持ち、親しみと畏敬を混えてビッグーボス夭親分)と呼び慣わしていた。そして誰もが「国王の前では、いいかげんなことは口にできない」と国王の勉強・精通ぶりを称え、その前に呼ばれるのを恐れると同時に、それを心待ちにしていた。そして、一回でも呼ばれたことがある役人は、それをこの上なく誇りにした。威厳を持った親政者と献身的な忠臣、その間に張り詰めるキリツとした緊張感と、その逆の非常に打ち解けた和やかさ。そこには筆舌に尽くせないチームワークの妙が感じられた。
こんなことは、どこの王制下にもあった、そして今でも他の王制下にもある、一部の側近だけに許された特権なのかもしれない。でも、ひょっとしたら名君だけが作り出せる関係・雰囲気なのかもしれない。他の王制を経験したことがないわたしには、比較の術がなかった。わたしは、第二次世界大戦後の民主主義象徴天皇制の下に生まれ育ち、どちらかといえば天皇に親しみを抱いていたが、如何せん天皇はわたしには縁遠い存在であった。そうしたわたしには、こうして国王に畏敬の念をもって、り献身的に尽くすことができるブータンの同世代の役人が、どこかたまらなく羨ましく思えた。王制下でのかれらの意欲、やりがい、充足感、誇りは、象徴天皇下のわたしにはまったく無縁な、味わいたくても、味わえないものであった。
「国のため、国王のため」わたしにとって、国立図書館顧問として中央政府の諸官庁に出入りし、大臣はじめ多くの官僚・役人と接触することになった一九八〇年代当初、一番気になったのは、政府全体が、しかもアメリカ、イギリスとかの欧米先進国の大学・大学院に留学した、わたしとほぼ同年代の三〇代の若いエリートまでが、異口同音に「国のため」あるいは「国王のため」と、ことあるごとに力説することであった。それは日本人のわたしの耳には、「お国のため」「天皇陛下のため」云々という、わたし自身は唱えたことはないが、あちこちで読み聞きした戦前の日本、それはわたしが受けた戦後民率王義教育では本質的に否定されているものを想起させるもので、何とも時代錯誤な、そして本音ではない建前上の対外的な謳い文句としか聞こえなかった。
いわんや、これだけ高度に技術化・専門化が進んだ時代にあ戸て、わたしより七歳も若く、大学はおろか高校も卒業していない二〇代後半の国王が、国政のすべての分野にわたって先見があるなどということは、とうてい信じられないのに、それを「先見の明かある賢明な君主」と称えるなど、とても本気で言っているとは思えなかった。しかし三年、四年とブータンに生活し、政府のことだけではなく、一般民衆のことも少しずつわかってくるにつけ、わたし自身のブータン国王および王制にたいする最初の印象・判断がけっしてそのまま正しいものではないという認識が徐々に強まった。まず第一に、人口六〇万足らずという小さな国であり、中央政府といってもほんの小所帯であるからであろうが、役人にとってはもちろんのこと、一般国民にとっても、国王は、恐れおおく近寄り難い存在ではなかった。
すべての国民には直訴権が認められており、それはよく行使された。役人でも、何らかの責任職にある者は、重大な事項・決議にさいしては、ほとんどが例外なく国王とさしで討議する機会を持ち、親しみと畏敬を混えてビッグーボス夭親分)と呼び慣わしていた。そして誰もが「国王の前では、いいかげんなことは口にできない」と国王の勉強・精通ぶりを称え、その前に呼ばれるのを恐れると同時に、それを心待ちにしていた。そして、一回でも呼ばれたことがある役人は、それをこの上なく誇りにした。威厳を持った親政者と献身的な忠臣、その間に張り詰めるキリツとした緊張感と、その逆の非常に打ち解けた和やかさ。そこには筆舌に尽くせないチームワークの妙が感じられた。
こんなことは、どこの王制下にもあった、そして今でも他の王制下にもある、一部の側近だけに許された特権なのかもしれない。でも、ひょっとしたら名君だけが作り出せる関係・雰囲気なのかもしれない。他の王制を経験したことがないわたしには、比較の術がなかった。わたしは、第二次世界大戦後の民主主義象徴天皇制の下に生まれ育ち、どちらかといえば天皇に親しみを抱いていたが、如何せん天皇はわたしには縁遠い存在であった。そうしたわたしには、こうして国王に畏敬の念をもって、り献身的に尽くすことができるブータンの同世代の役人が、どこかたまらなく羨ましく思えた。王制下でのかれらの意欲、やりがい、充足感、誇りは、象徴天皇下のわたしにはまったく無縁な、味わいたくても、味わえないものであった。
2013年8月28日水曜日
沖縄に何を求めて人はやってくるのか
最大の比重を占めるのが第三次産業の三兆四五八二兆円である。実に九割を占める。ちなみに、〇四年度の観光収入は約四五〇〇億円だが、サービスや原材料の購入を通じて他産業に波及する効果は約六九〇〇億円で、これに付加価値効果の約三八〇〇億円をあわせると、域内総生産の四割を占める。現実問題として、今後も沖縄が基幹産業と呼べるのは、今のところ観光しかないのだ。『平成一八年度沖縄観光客満足度調査』によれば、旅行前に何を期待したかというと、「沖縄の海の美しさ」九四%、「沖縄らしい風景」が八八%、この二つがダントツで、三位以下を、「食事」五八%、「自然環境の保全状態」四九%、と続く。観光とは、読んで字のごとく「光を観る」ことであり、観光客は沖縄らしい風景を見に来るのである。
観光客の視点から言えば、日常的な生活空間を離れ、非日常的空間に浸りたいがために旅をする。たとえば、沖縄には今帰仁城跡や座喜味城跡など世界遺産に指定された「城」があるが、旅行者はこうした文化遺跡だけを目的に来るわけではない。一部をのぞけばい海岸を散歩したり、ちょっとした店で食事をしたり、沖縄という空気に浸ることで日常から解放されたいと願っているはずだ。古い町並みが遺った妻龍宿や萩、白川、高山などに観光客がやってくるのは、日常から失われてしまった町並みが、ここでは五感で感じ取ることができるからだろう。観光立県の沖縄に必要なのもこれと同じで、本土や海外の人間が失ってしまった非日常的空間ではないだろうか。
何か言いたいかといえば、「おもろまち」のような街を野放図につくり続ければ、それは本土の都市と変わらなくなり、非日常的でも何でもないただのミニ東京にすぎなくなる。それは、沖縄の観光が水泡に帰すときだ。ただ「暖かい」というだけで、わざわざ航空運賃を払ってまで来るだろうか。沖縄の空気を感じさせる景観づくり、あるいは島づくりこそ、沖縄の資産となる。景観づくりに失敗すれば、沖縄は先祖から受け継いできた資源を雲散霧消させる。それが「おもろまち」のような姿になってあらわれはじめたのだ。ゾーニング規制の甘さで沖縄の景観はズタズタになった景観でいえば、恩納村も例外ではない。
那覇から国道五八号線を北上すること一時間あまり、サトウキビ畑が広がる読谷村を抜けると、突然、左手に目が覚めるような東シナ海がせり上がってくる。ここが沖縄を代表するリゾート地・恩納村だ。〇七年度に滞在した宿泊客は二一四万人にのぼるという。亜熱帯気候の碧い海、抜けるように透明な空は、インドネシアのバリ島やフランスのニースといった世界のリゾート地にも匹敵するはずだが、どこを見渡してもバリ島やニースのような光景は目に入らない。似て非なるどころか、比べようもないほど貧相で退屈なのである。恩納村を南北に抜ける幹線の五八号線は、トラックがわが物顔に行き交う。立ち止まって数えると、上下線あわせて一分間に七台。それもほとんどがダンプカーである。観光客の目の前を、ダンプカーが排気ガスを巻き上げながら走るリゾート地は、世界広しといえどもここだけだろう。
さらに五八号線を北上すれば、安っぽい土産物屋や無国籍風のレストラン、それに派手な看板がやたら目に飛び込んでくる。道路沿いを走る無粋な電柱と電線は風景をズタズタにし、高級ホテルも民家も商業施設も渾然一体となっている。乱雑で狼雑で無秩序で、個性がないだけに、さらに安っぽく見える。最大の原因は、ゾーニング規制があいまいだからだ。ゾーニング規制というのは、地域を用途にあわせて分類することで、都市空間を有効に活用することでもある。沖縄県庁の観光を担当する職員に、「ゾーニングができていないから町がゴミゴミしているのではないか」と言ったところ、「いや、県ではきちんと規制をしています」とゾーニング規制の地図を見せてくれた。
観光客の視点から言えば、日常的な生活空間を離れ、非日常的空間に浸りたいがために旅をする。たとえば、沖縄には今帰仁城跡や座喜味城跡など世界遺産に指定された「城」があるが、旅行者はこうした文化遺跡だけを目的に来るわけではない。一部をのぞけばい海岸を散歩したり、ちょっとした店で食事をしたり、沖縄という空気に浸ることで日常から解放されたいと願っているはずだ。古い町並みが遺った妻龍宿や萩、白川、高山などに観光客がやってくるのは、日常から失われてしまった町並みが、ここでは五感で感じ取ることができるからだろう。観光立県の沖縄に必要なのもこれと同じで、本土や海外の人間が失ってしまった非日常的空間ではないだろうか。
何か言いたいかといえば、「おもろまち」のような街を野放図につくり続ければ、それは本土の都市と変わらなくなり、非日常的でも何でもないただのミニ東京にすぎなくなる。それは、沖縄の観光が水泡に帰すときだ。ただ「暖かい」というだけで、わざわざ航空運賃を払ってまで来るだろうか。沖縄の空気を感じさせる景観づくり、あるいは島づくりこそ、沖縄の資産となる。景観づくりに失敗すれば、沖縄は先祖から受け継いできた資源を雲散霧消させる。それが「おもろまち」のような姿になってあらわれはじめたのだ。ゾーニング規制の甘さで沖縄の景観はズタズタになった景観でいえば、恩納村も例外ではない。
那覇から国道五八号線を北上すること一時間あまり、サトウキビ畑が広がる読谷村を抜けると、突然、左手に目が覚めるような東シナ海がせり上がってくる。ここが沖縄を代表するリゾート地・恩納村だ。〇七年度に滞在した宿泊客は二一四万人にのぼるという。亜熱帯気候の碧い海、抜けるように透明な空は、インドネシアのバリ島やフランスのニースといった世界のリゾート地にも匹敵するはずだが、どこを見渡してもバリ島やニースのような光景は目に入らない。似て非なるどころか、比べようもないほど貧相で退屈なのである。恩納村を南北に抜ける幹線の五八号線は、トラックがわが物顔に行き交う。立ち止まって数えると、上下線あわせて一分間に七台。それもほとんどがダンプカーである。観光客の目の前を、ダンプカーが排気ガスを巻き上げながら走るリゾート地は、世界広しといえどもここだけだろう。
さらに五八号線を北上すれば、安っぽい土産物屋や無国籍風のレストラン、それに派手な看板がやたら目に飛び込んでくる。道路沿いを走る無粋な電柱と電線は風景をズタズタにし、高級ホテルも民家も商業施設も渾然一体となっている。乱雑で狼雑で無秩序で、個性がないだけに、さらに安っぽく見える。最大の原因は、ゾーニング規制があいまいだからだ。ゾーニング規制というのは、地域を用途にあわせて分類することで、都市空間を有効に活用することでもある。沖縄県庁の観光を担当する職員に、「ゾーニングができていないから町がゴミゴミしているのではないか」と言ったところ、「いや、県ではきちんと規制をしています」とゾーニング規制の地図を見せてくれた。
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