国際資本移動において枢要な役割を演じているユーロ市場では、原則として各種の規制が存在しない。また、当局によるユーロ銀行の監督も母国の銀行に対する監督に比べればそれほど厳格なものではないことが多い。この状況下では、仮に何らかの事態が発生し、ユーロ銀行が破綻に瀕した場合、インターパンク市場を通じて次々と他行に波及するリスクが無視しえなくなる。実際、ユーロ市場ではこれまで数度にわたって、ユーロ銀行の経営破綻や、ユーロ市場全体が危機に直面するシステミックーリスクを経験してきた。
主要国の金融当局は、こうした国際金融面におげる多くの問題に対応するため、IMF(国際通貨基金)やBIS(国際決済銀行)といった国際機関の場で協議してきた。このなかで、七四年に、主要先進国で構成されているG‐10(当初は主要先進一〇ヵ国で構成されていたが、その後二ヵ国を追加)は、こうした問題への対応に向けて。パーセル委員会(BIS本部がパーセルに置かれていることに因んだ通称)をBISの中に設置した。
同委員会の課題は、実体的に無規制の下で、あまりにも巨大化した市場から生じるさまざまなリスクに対して、これをいかに抑制し管理するかを検討するとともに、仮に金融危機が起こった場合の対応について、主要国間で基本的な合意を取り決めることであった。だが、パーセル委員会が打ち出した処方簾は、実際の金融危機に直面するとほとんど実効を伴わないものであった。そして、いくつかの試行錯誤のなかで辿り着いたのが、九二年三月末(日本は九三年三月末)から正式に適用されている、BIS自己資本比率規制であった。
七四年六月、ドイツの中堅銀行として名が知られていたヘルシュタット銀行が為替投機の失敗を主因に経営危機に陥り、監督当局から業務の認可取消し及び清算を命じられた。これを受けて、ユーロ市場では一気に流動性リスクが高まり、インターパンク取引を中心に重大な状況に陥った。一方、同行は外為市場において大規模な為替取引を行っていたが、同行とドル買い・マルク売りの外為取引を行っていた多数の銀行は、ドルの受取りが困難となり、多大の損失を被るごとになった。
ヘルシュタット銀行の閉鎖は、時間的には、同行からドルを買うために欧州市場でマルクの払込みを済ませた後、ドルの受取りが可能になる米国市場のオープンをみる前に命じられたからである。主要国間における資本取引の巨大化とともに、こうした外国為替取引に付随する決済リスクが絶大なものとなり、システミックーリスクが発生しかねないことが、はからずもヘルシュタット銀行の破綻で明確に認識させられることになった。
2013年12月25日水曜日
新しいソフトウェア
月末になると請求書がくるわけだ。もっと想像を膨らませば、ホームージュークボックスなどというのも考えられる。六〇年代風のロックンロールーパ上アイー、二人のロマンチックなディナー、テキサスーメキシカン風の野趣あふれるバーベキュー用に、もちろんあなた向きにあつらえて、夕べの音楽をオーダーできるのだ。電気信号にスクランブルをかけて録音はできないようになっており、聴くたびに支払うシステムである。それでは、我々が知っているようなレコード店はどうなるだろうか。そう、彼らはもはや過去のものである。
最後にもう一つ例を挙げてみよう。一〇年か一五年たてば、今我々が見ているようなパソコンは骨董品になってしまう可能性が高い。パソコンというのは結構悩みの種である。ハードディスクが壊れたり、メモリーが足りないという表示がいきなり出たり、新しいソフトウエアや拡張カードの複雑怪奇な設定で悪戦苦闘したり、ハッカーが夜中にいっさいがっさい持っていってしまうことを心配したりと、経験者ならパソコンには欠点もあるということがわかるはずだ。
しかし、もし情報公共サービスなどというものがあったらどうだろうか。電子手帳や携帯電話を持ち歩く代わりに、インフォポート(情報端末)とでもいう、画面と電話接続端子、それからタッチペン、キーボード、あるいばマイクなどの入力手段をフル装備した小さな機器を持ち歩くのだ。インフォポートを使って、ユーザーはAT&Tか、ブリティッシューテレコム、あるいはペルーアトランディックにある、小さな自分のフォルダーに接続する。その小さなフォルダーには自分のすべてのファイルが安全に保存されていて、夜中に泥棒が入ったり、電圧変動が起きたりする危険もない。
新しいソフトウェアが必要になったらいつでもすぐ手に入る。保存容量が足らなくなったら?心配ない。すぐに追加してもらえる。すぐ容量が足りなくなったり壊れたりするパソコンなどではなく、容量はほとんど無限で、ずっと頑丈な情報公共サービスが使えるのだ。この例はいささか夢物語に聞こえるかもしれないが、既存の市場と潜在的な市場の両方について機能面から考えられなければ、未来をつくり出すことはほとんど不可能である。
未来をつくり出す一つの方法は、従来の機能をまったく新しい手段で実現することである。このよい例がヤマハの電子ピアノである。従来のピアノをコンピューター技術の面から見直すことで、一つ一つの音、一つ一つのニュアンスにいたるまで偉大なピアニストの演奏を、自称ルビンシュタインが再現できるようにした。既存の機能に新しい衣装を着せた例としてはほかに、シャープの電子手帳や現金自動支払機がある。
最後にもう一つ例を挙げてみよう。一〇年か一五年たてば、今我々が見ているようなパソコンは骨董品になってしまう可能性が高い。パソコンというのは結構悩みの種である。ハードディスクが壊れたり、メモリーが足りないという表示がいきなり出たり、新しいソフトウエアや拡張カードの複雑怪奇な設定で悪戦苦闘したり、ハッカーが夜中にいっさいがっさい持っていってしまうことを心配したりと、経験者ならパソコンには欠点もあるということがわかるはずだ。
しかし、もし情報公共サービスなどというものがあったらどうだろうか。電子手帳や携帯電話を持ち歩く代わりに、インフォポート(情報端末)とでもいう、画面と電話接続端子、それからタッチペン、キーボード、あるいばマイクなどの入力手段をフル装備した小さな機器を持ち歩くのだ。インフォポートを使って、ユーザーはAT&Tか、ブリティッシューテレコム、あるいはペルーアトランディックにある、小さな自分のフォルダーに接続する。その小さなフォルダーには自分のすべてのファイルが安全に保存されていて、夜中に泥棒が入ったり、電圧変動が起きたりする危険もない。
新しいソフトウェアが必要になったらいつでもすぐ手に入る。保存容量が足らなくなったら?心配ない。すぐに追加してもらえる。すぐ容量が足りなくなったり壊れたりするパソコンなどではなく、容量はほとんど無限で、ずっと頑丈な情報公共サービスが使えるのだ。この例はいささか夢物語に聞こえるかもしれないが、既存の市場と潜在的な市場の両方について機能面から考えられなければ、未来をつくり出すことはほとんど不可能である。
未来をつくり出す一つの方法は、従来の機能をまったく新しい手段で実現することである。このよい例がヤマハの電子ピアノである。従来のピアノをコンピューター技術の面から見直すことで、一つ一つの音、一つ一つのニュアンスにいたるまで偉大なピアニストの演奏を、自称ルビンシュタインが再現できるようにした。既存の機能に新しい衣装を着せた例としてはほかに、シャープの電子手帳や現金自動支払機がある。
2013年11月5日火曜日
第四代国王とブータン社会
わたしは、キリスト教の持つ崇高な価値に無感動ではないし、ブータンでかれらが教育と医療の分野で大きな貢献をなしていることは高く評価している。しかし、自分の信仰だけしか認めないという排他的普遍主義(これはキリスト教に限らず、他の宗教にもみられる)に内在する偏狭さ、独断性は、やはり不寛容であり、問題があると思う。宗教に関してラテン語に不条理なるが故に信ずという諺があるが、改めて深い叡智と謙虚さ、そして寛容への鍵があるように思える。主にキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の一神教三姉妹が信奉される地域で、原理主義的勢力による「宗教戦争」的紛争が絶えない現状を鑑みると、ブータン人の宗教的寛容性は改めて評価されるべきものだと思う。
「国のため、国王のため」わたしにとって、国立図書館顧問として中央政府の諸官庁に出入りし、大臣はじめ多くの官僚・役人と接触することになった一九八〇年代当初、一番気になったのは、政府全体が、しかもアメリカ、イギリスとかの欧米先進国の大学・大学院に留学した、わたしとほぼ同年代の三〇代の若いエリートまでが、異口同音に「国のため」あるいは「国王のため」と、ことあるごとに力説することであった。それは日本人のわたしの耳には、「お国のため」「天皇陛下のため」云々という、わたし自身は唱えたことはないが、あちこちで読み聞きした戦前の日本、それはわたしが受けた戦後民率王義教育では本質的に否定されているものを想起させるもので、何とも時代錯誤な、そして本音ではない建前上の対外的な謳い文句としか聞こえなかった。
いわんや、これだけ高度に技術化・専門化が進んだ時代にあ戸て、わたしより七歳も若く、大学はおろか高校も卒業していない二〇代後半の国王が、国政のすべての分野にわたって先見があるなどということは、とうてい信じられないのに、それを「先見の明かある賢明な君主」と称えるなど、とても本気で言っているとは思えなかった。しかし三年、四年とブータンに生活し、政府のことだけではなく、一般民衆のことも少しずつわかってくるにつけ、わたし自身のブータン国王および王制にたいする最初の印象・判断がけっしてそのまま正しいものではないという認識が徐々に強まった。まず第一に、人口六〇万足らずという小さな国であり、中央政府といってもほんの小所帯であるからであろうが、役人にとってはもちろんのこと、一般国民にとっても、国王は、恐れおおく近寄り難い存在ではなかった。
すべての国民には直訴権が認められており、それはよく行使された。役人でも、何らかの責任職にある者は、重大な事項・決議にさいしては、ほとんどが例外なく国王とさしで討議する機会を持ち、親しみと畏敬を混えてビッグーボス夭親分)と呼び慣わしていた。そして誰もが「国王の前では、いいかげんなことは口にできない」と国王の勉強・精通ぶりを称え、その前に呼ばれるのを恐れると同時に、それを心待ちにしていた。そして、一回でも呼ばれたことがある役人は、それをこの上なく誇りにした。威厳を持った親政者と献身的な忠臣、その間に張り詰めるキリツとした緊張感と、その逆の非常に打ち解けた和やかさ。そこには筆舌に尽くせないチームワークの妙が感じられた。
こんなことは、どこの王制下にもあった、そして今でも他の王制下にもある、一部の側近だけに許された特権なのかもしれない。でも、ひょっとしたら名君だけが作り出せる関係・雰囲気なのかもしれない。他の王制を経験したことがないわたしには、比較の術がなかった。わたしは、第二次世界大戦後の民主主義象徴天皇制の下に生まれ育ち、どちらかといえば天皇に親しみを抱いていたが、如何せん天皇はわたしには縁遠い存在であった。そうしたわたしには、こうして国王に畏敬の念をもって、り献身的に尽くすことができるブータンの同世代の役人が、どこかたまらなく羨ましく思えた。王制下でのかれらの意欲、やりがい、充足感、誇りは、象徴天皇下のわたしにはまったく無縁な、味わいたくても、味わえないものであった。
「国のため、国王のため」わたしにとって、国立図書館顧問として中央政府の諸官庁に出入りし、大臣はじめ多くの官僚・役人と接触することになった一九八〇年代当初、一番気になったのは、政府全体が、しかもアメリカ、イギリスとかの欧米先進国の大学・大学院に留学した、わたしとほぼ同年代の三〇代の若いエリートまでが、異口同音に「国のため」あるいは「国王のため」と、ことあるごとに力説することであった。それは日本人のわたしの耳には、「お国のため」「天皇陛下のため」云々という、わたし自身は唱えたことはないが、あちこちで読み聞きした戦前の日本、それはわたしが受けた戦後民率王義教育では本質的に否定されているものを想起させるもので、何とも時代錯誤な、そして本音ではない建前上の対外的な謳い文句としか聞こえなかった。
いわんや、これだけ高度に技術化・専門化が進んだ時代にあ戸て、わたしより七歳も若く、大学はおろか高校も卒業していない二〇代後半の国王が、国政のすべての分野にわたって先見があるなどということは、とうてい信じられないのに、それを「先見の明かある賢明な君主」と称えるなど、とても本気で言っているとは思えなかった。しかし三年、四年とブータンに生活し、政府のことだけではなく、一般民衆のことも少しずつわかってくるにつけ、わたし自身のブータン国王および王制にたいする最初の印象・判断がけっしてそのまま正しいものではないという認識が徐々に強まった。まず第一に、人口六〇万足らずという小さな国であり、中央政府といってもほんの小所帯であるからであろうが、役人にとってはもちろんのこと、一般国民にとっても、国王は、恐れおおく近寄り難い存在ではなかった。
すべての国民には直訴権が認められており、それはよく行使された。役人でも、何らかの責任職にある者は、重大な事項・決議にさいしては、ほとんどが例外なく国王とさしで討議する機会を持ち、親しみと畏敬を混えてビッグーボス夭親分)と呼び慣わしていた。そして誰もが「国王の前では、いいかげんなことは口にできない」と国王の勉強・精通ぶりを称え、その前に呼ばれるのを恐れると同時に、それを心待ちにしていた。そして、一回でも呼ばれたことがある役人は、それをこの上なく誇りにした。威厳を持った親政者と献身的な忠臣、その間に張り詰めるキリツとした緊張感と、その逆の非常に打ち解けた和やかさ。そこには筆舌に尽くせないチームワークの妙が感じられた。
こんなことは、どこの王制下にもあった、そして今でも他の王制下にもある、一部の側近だけに許された特権なのかもしれない。でも、ひょっとしたら名君だけが作り出せる関係・雰囲気なのかもしれない。他の王制を経験したことがないわたしには、比較の術がなかった。わたしは、第二次世界大戦後の民主主義象徴天皇制の下に生まれ育ち、どちらかといえば天皇に親しみを抱いていたが、如何せん天皇はわたしには縁遠い存在であった。そうしたわたしには、こうして国王に畏敬の念をもって、り献身的に尽くすことができるブータンの同世代の役人が、どこかたまらなく羨ましく思えた。王制下でのかれらの意欲、やりがい、充足感、誇りは、象徴天皇下のわたしにはまったく無縁な、味わいたくても、味わえないものであった。
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